25歳のとき、私は思い切って仕事を辞め、東京へ出ることにしました。
このまま仕事を続ければ、地元で保険代理店になる将来が見えるものの、「いつかは東京に出たい」という道が完全に閉ざされてしまう。その将来にどうにも納得がいかなかったからです。
しかし、無計画な上京の末に、行き着いたのは愛知県の工場でした。それは、人生を立て直すための選択でした。
この記事は、決して計画的とは言えないけれど、あのときの選択と葛藤の記録です。
25歳で転職を決意した理由|仕事を辞めて上京するのは逃げなのか悩んだ
25歳の私は、地元の北海道で損害保険会社の営業職に就いていました。
この損害保険会社の営業とは、建設会社を回って労災上乗せ保険を販売する、新規開拓の飛び込み営業です。
ノルマがあり、半年間で新人の半数がノルマを達成できずに去ってしまうという結構きびしい環境でした。
地元で就職したが環境を変えたいと思った
新人の私は、朝7時半に営業所に出勤して朝礼を済ませ、車で2時間かけて営業担当の苫小牧市に行き、1日5件くらい建設会社に飛び込み営業して、また2時間かけて営業所に戻って事務作業をし、帰宅するのは22時過ぎという日々。
ノルマは月3件の法人契約ですが、ちょっとでもサボると達成できないハードルを、私は愚直に飛び込み営業を繰り返しながら、なんとか毎月ギリギリの平均的な成績でクリアして生き延びていました。
とはいっても、私は研修期間に契約を4件取って敢闘賞をもらったし、契約件数が支店で1位の月もあったし、決して向いていない仕事ではなかったと思います。
1年が過ぎたころ、「若くて成長力がある今の時期に、本当にこの仕事を続けていっていいのか」という思いが出てきました。ITの時代だというのに、保険営業ではITスキルがほとんど身に付かないことに焦りを感じたのです。
営業所には、東京からUターン就職した年上の同僚がいました。彼から東京での仕事の話を聞いているうちに、私はどうしても今の年齢のうちに東京へ出る必要があるような気がして、転職を決意しました。
「今の仕事から逃げたいだけ」という自問
保険営業の仕事ではITスキルが身に付かないことへの焦りがあったことは事実です。
が、同時に、転職のために上京したいという動機には、もう一つの別の気持ちがあるような気がしていました。
仕事から逃げたいだけなんじゃないか?
飛び込み営業のノルマに追われて、早朝から夜遅くまで業務に費やされる保険営業の仕事に、私は疲れ切っていました。
本当は仕事が嫌で、だから「転職のために上京する」という聞こえの良い理由を口実にしているだけでは——
気持ちの整理がつかないまま1ヶ月ほど経ったある日、私はアポを断って営業先の苫小牧とは逆方向に車を走らせ、石狩の海に向かいました。
曇り空の下の灰色の海を見ながら、
「自分はなぜ今の仕事を辞めたいのか」
一日中考えました。
保険営業の仕事は、5年続ければ保険代理店として独立できる道がありました。つまり、今の辛い時期を我慢できれば、堅い将来が約束されている。
でも、それは、本当になりたい自分なんだろうか。
本当にやってみたい方向に舵を切るなら、やっぱり今しかないんじゃないのか。
上京したい気持ちを転職理由にしていいのか
私は、学生のころからずっと「東京に出たい」という憧れを持っていました。その原因ははっきりとはわかりませんが、たぶん幼少のころから度々、東京の親戚のところへ遊びに行っていたことも影響しているような気がします。
雑誌を見ても、音楽を聴いても、東京の方が流行を先取りしていることは明らかで、それも学生時代の自分を東京に駆り立てていました。
そんな気持ちを抱えたまま、学生時代が終わり、社会人になって保険会社に就職し、そしてゆくゆくは地元を基盤にした保険代理店。という将来が見えてくると、完全に東京へ出る道が閉ざされることになります。
だからといって、「東京に行きたい」という気持ちを転職理由にしてもいいのだろうか。
だって、東京で転職先が決まっているわけでもないし、東京に行けば何かあるだろうという、なんとも説明のつかない転職理由にしかならないわけです。
これ、上司や支店長は納得するんだろうか?
でも、東京に出る道が閉ざされる将来が見えた今、それに到底納得できない自分の気持ちも明白になって、私は結論を出しました。
どうなるか分からないけど、仕事を辞めて東京に行こうと。
そして、退職願を書き、上司に言いました。
「仕事を辞めます。東京に行きます。」
25歳で上京後、仕事探しに苦戦した|転職先が決まらない焦り
東京には、住む場所も、働く場所も決めずに出てきました。東京で就職した学生時代の友人がいたので、そこに転がり込んで東京での生活が始まりました。
ところが、すぐに困った状況に陥ります。
仕事をしていないから部屋を借りられない。
住所不定だから思うように仕事を探せない。
せっかく東京に出てきたのに、身動きが取れなくなってしまいました。
東京で仕事を探した2ヶ月間に感じた不安
東京に来て、仕事が決まらないまま2ヶ月も経つと、所持金も減っていく一方です。焦りました。
仕事は何でもいいから、とりあえず正社員に。という判断が間違っていました。今思えば、アルバイトでよいから、まずは住む場所を確保すべきでした。
インターネットで求人を見ては応募していましたが、一つも面接に進めませんでした。
これ以上、住所不定のまま転職活動しても絶対に決まらない。所持金が無くなるまえに、なんとかしないと。
新しい仕事に挑戦したいが決まらない
私は、営業職ではない仕事を探していました。せっかく新天地に出たんだから、まったく新しい人生を歩み出そうという思いがありました。
前職の営業経験を活かせる営業職なら、もしかしたら面接に進めるかもしれないという考えもありました。でも、保険営業のときのように、早朝から夜遅くまで拘束される生活を、東京で繰り返したいとは思えませんでした。
しかし、未経験の仕事というのは、そう簡単には決まらないものです。そもそも、自分が応募していた仕事の一つひとつに対して明確な志望動機を持っているとは言えない状態でした。
つまり、東京で生活するために仕事を探しており、その動機は「とりあえず生活を安定させたいから」というところに終始してしまっていたわけです。
志望動機をまともに書けない状態では、仕事なんか決まるわけがありませんでした。
生活のために仕事を決める必要があった
減り続ける所持金。もうこれ以上、転職活動を続けるのは難しいと判断して、私はアルバイト情報に手を伸ばしました。
そこで、思わぬ求人が目に入ります。
『期間従業員 募集 寮付き』
そっか、寮に入れば、住む場所も働く場所も手に入るんだ。
その募集は自動車製造の工場作業員の募集でした。場所は愛知県。
東京ではなく、愛知県。
でも、自力で生活するためには、とにかく仕事を決める必要がありました。仕事が決まらないと何も始まらない。
25歳で転職した理由|未経験の環境へ飛び込む決断
「東京に行けば何かあるだろう」と思っていたけど、何も持たない自分に、その何かが見えてくるはずはなく、八方塞がりになってしまいました。
私は、考え方を変えることにしました。
今すぐにやりたい仕事を見つけるのではなく、まず自分で生活できる状態を作る。仕事をしながらお金を貯めて、住む場所を確保して、そのうえでこれから何をするのかを考えればいい。
やりたいことをするためではなく、まず生きるために仕事をする。
そういう判断をしました。
東京で探し続けるか、東京を出て仕事に就くか
思わぬかたちで期間従業員の募集を見つけて、二択を迫られるかたちになりました。
・東京に居続けることはできる。
・やりたい事を見つけられる可能性はある。
・転職できても、最初の給与支給まで持ちこたえられない。
・所持金がほとんどないため、部屋を借りるための敷金・礼金をすぐには用意できない。
・何の仕事に就けるか、収入がどのくらいになるのか、まったく見通しは立たない。
・その仕事を継続できるかどうかもわからない。
・東京ではなく愛知に行くことになってしまう。
・やりたい事ではない。
・入社祝い金があるので、最初の給与支給までの生活費を確保できる。赴任、入寮までの費用も会社持ち。
・寮なので敷金・礼金は不要。
・大企業のため、給与や待遇は良い。
・自分が希望すれば雇用期間を延長して働き続けられる。ただし、肉体労働のきつさはある。
安定を求めたのではなく、人生を立て直すための選択だった
東京に出てきたものの、家もなく職もない私には余裕がありませんでした。人生設計を立て直す必要がありました。
東京に出て、やりたい事、やりたい仕事を探そうと思っていたけど、自分が何をやりたいのかを自分がわかっていない状態で、仕事を探せるわけがなかったのです。
私は、東京に出ることが目的になっていたことに気が付きました。
このまま東京に居続けたら、仕事が見つからないまま所持金が尽きて、本当に身動きが取れなくなってしまう。
期間従業員の寮付きの仕事なら、お金の心配も、住む場所の心配もなく、何の心配もなく自活を始められる。引っかかっているのは、場所が東京ではなく愛知というところでした。
東京から一時離れることになるけど、お金を貯めて戻ってくればいい。
これしかない。
そう決断して、期間従業員の仕事に応募しました。面接の連絡があり、面接に行くとあっさりと採用が決まりました。
憧れて東京に出てきたけど、いきなり東京を出て愛知に行くことになってしまいました。
しかし、この選択は、25歳の自分にとって、その時点で現実的に人生を前へ進めるための必然的な選択でした。
25歳なら環境を変える余地がまだあった
このときの25歳の私は、一つの仕事を生涯続けていく自分を想像できませんでした。
新卒で入った保険会社を辞めて、東京へ出て、そこでも仕事が決まらず、結局は愛知の工場で働くことになりました。
今振り返ってみても、かなり大きな方向転換だったと思います。
それでも25歳の私は、これから先の人生を考えたときに、今の仕事を続けることだけが道ではないと思っていました。
保険営業の経験を活かして、営業職で仕事を続けることもできたはずです。でも、それは選ばずに、まったく経験のない仕事へ飛び込むことにしました。
25歳なら、いくらでもやり直せる。
当時の私は、そう考えていました。
25歳で転職して分かったこと|あの時の決断は間違いではなかった
無計画に上京したせいで、少しばかり遠回りすることになってしまいました。
でも、仕事を辞めて「東京に出る」という決断をして良かったと思います。
東京から愛知へ行って変わったこと
東京から愛知に行って、期間従業員として就業したことで、生活はとりあえず落ち着きました。
東京で四苦八苦していた2ヶ月間が嘘のように静まり返って、平穏で普通の生活が始まりました。
期間従業員の仕事は、一日中ラインを歩き回って作業をするという肉体的な負担が大きい仕事でしたが、保険会社のときに浴びていたような過度なプレッシャーはまったくなく、ただ、ひたすら同じ作業を続けるという仕事でした。
「いろんな働き方があるんだな。」
と思いました。
25歳の転職で反省したこと
上京してから仕事を探すなら、やりたいことをある程度明確にしておくべきでした。
「東京に行きたい」という気持ちが先行して、仕事も住む場所も決めないまま上京したことで、東京での転職活動が困難な状況になりました。
仕事が決まらないから、部屋も借りられない。どんどん所持金は減っていく。
結果的に、東京で仕事を探すという本来の目的よりも、「まず生活を維持しなければならない」という状況に追い込まれました。
私には「営業ではない仕事がしたい」「新しい仕事に挑戦したい」という気持ちはありましたが、具体的に何をしたいのかまでは決まっていませんでした。
そのため、東京で求人を探しても、その仕事に明確な志望動機を作ることができませんでした。
「東京で生きていくために仕事を探している」という就労動機が大きい状態だったので、求人に応募しても「なぜ御社で働きたいのか」を企業側に伝えることができていなかったと思います。
25歳で転職を考えている人へ伝えたいこと
25歳のとき、私は「これから何をしたいのか」さえはっきり決まっていませんでした。
それでも、地元で仕事を続けていくことには納得できなくて、東京に出ました。
でも、東京では住む場所もなく、仕事もなく、結局は愛知へ行くことになりました。
決して計画通りの転職ではなかったけれど、それでも、転職を決意し、行動に移して良かったと思っています。
次回は、

