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転職失敗談|「夜勤なら稼げる」で仕事を選んだ結果、転職が怖くなった

私は20代で6回転職しています。ですが、6回すべてが失敗だったわけではありません。一度だけ、「この転職は失敗だった」と今でも思う転職があります。

26歳のとき、私は愛知県の自動車製造工場でライン作業員として働いていました。給与や待遇にも不満はなく、社員登用の道もありました。

それでも、「東京に戻って、やりたい仕事を見つけたい」という思いから、雇用期間の延長を断って退職しました。

東京に戻ってからは、クリエイティブ職や技術職など、未経験の仕事に応募しました。しかし、応募しても面接にすらたどり着けない状況が続き、貯金もどんどん減っていきました。

そこで私は、生活のために「夜勤なら稼げそう」という安直な判断で、宅配便ターミナルの仕分けの仕事に転職しました。

これが、私にとって「失敗だった」と思った転職です。

転職前の仕事は安定していた

自動車製造工場のライン作業は、一日中、歩きながら作業し続ける肉体労働でした。

私が配属されたのは部品工場だったので、製造工程の中でも比較的楽な方だと思います。

働き始めた頃は足の痛みと疲労でつらさを感じていましたが、3ヵ月も経つと体も慣れて、夜勤にも慣れました。

給与は平均水準で、夜勤手当や残業手当が加算すると十分な額でした。寮生活だったので家賃は無く、光熱費もかからないので、お金が貯まっていきました。

仕事も生活も安定していました。

自分の意思で安定を捨てた

この自動車メーカーには、社員登用の制度があり、私が働くラインにも社員登用で社員になった人や、社員登用を目指して入職した人もいました。

大手自動車メーカーの社員を目指せるチャンスというのは魅力的で、私も社員登用には気持ちが揺れました。安泰な将来にレールが敷かれているわけです。

でも、私はもともと、お金が貯まり次第、自動車製造の仕事を辞めて東京に戻るつもりでした。

将来の安泰、生活の安定を捨てるのが惜しい気持ちもありましたが、雇用期間の延長を断って退職しました。

転職活動でことごとく失敗して妥協の転職を選ぶ

東京に戻って、すぐに転職活動を始めました。

しかし、転職活動はことごとく失敗していました。応募しても、応募しても、面接にすらたどり着かない。

私は、「東京でやりたい事を見つけて、それを仕事にしたい」という思いがありました。クリエイティブ職や技術職に憧れがあり、その職種の求人に応募を続けていました。

つねに未経験の仕事に応募する状況であり、それで転職活動が難しくなっていたわけです。

貯金がどんどん減っていく状況で、まずは生活のために転職しようと考えを変えて、給与の高い夜勤の仕事から宅配便ターミナルの仕分けの仕事を選びました。

転職初日から終わっていた

求人は、

・物流センターでの荷物仕分け(夜勤)
・未経験可
・簡単な作業

といった内容で、「肉体労働の経験はあるし、夜勤だから稼げるだろう」という思いもあって転職しました。

ところが、初日で自分の考えが甘かったことがわかりました。

仕事を教えてもらえない

夜勤番が全体的にどういう流れで、どんな作業をやるのかという説明すらないまま、いきなり作業開始。だから、作業の流れや動きがわからない。

みんな険しい表情で忙しなく動いていて、聞ける雰囲気でもないので、仕方なく周りの人の動きを見てついていく状態でした。

指示は、そのときその場でされます。

「この番号の荷物を取って、こっちに乗せて」

みたいな。

何の目的でそれをやるのか、それをやり続けるのか、さっぱり分からないから間違えそうだし、間違えたら怒られそうだし、ビクビクしました。

1日やってみて、なんとなく流れはわかったものの、仕事を教える気がない職場の雰囲気には初日から心が折れそうでした。

疲労感がハンパない

自動車製造工場のラインで働いていたこともあって、私は体力には自信がありました。

それでも、この仕事はきつかったです。

夜勤番の前半の作業は荷物の仕分けです。作業場の中央のコンベアを隙間なく続々と流れてくる荷物から、担当配送先の荷物を取って別のコンベアに乗せ換えていきます。

荷物を横のコンベアに曲げて乗せ換える、この作業は『曲げ』と呼ばれていましたが、姿勢も腰を曲げたままになるので洒落にならないほど腰が痛くなります。

後半の作業は、仕分けた荷物を配送トラックに積み込んでいきます。荷物を取り上げて、トラックの積み込み役に手渡す作業を繰り返します。それが終わると、また、作業場に戻り『曲げ』。

毎日、必ずウォーターサーバの水ボトルが数十個も着荷します。これをコンベアまで運ぶのも嫌でした。

夜が明けるころには、ヘトヘトになっている。

肉体労働の経験者でも疲労感がハンパなかったです。

館内放送で怒鳴られる

一番びっくりしたのが、作業場で飛び交う怒号です。

この怒号、作業者同士の怒号だけじゃありません。館内放送でも怒鳴られます。

「おい!なんかい同じ荷物まわしてるんだよ!一回で取れよ!」

「荷物!つぶれてるぞ!もたもたしてんじゃねえよ!」

同じ配送先の荷物が3個も4個も連続すると、もう全然間に合いません。

無理だっつーの

手、二本しかないんだし

作業場には外国人も入っていましたが、彼らはよく館内放送で怒鳴られていました。館内放送で怒鳴り声が聞こえてくる環境で、ぜんぜん気持ちよく働くことなんかできないと感じました。

 

 

 

私は前職の自動車製造工場で働いて頃を思い出しました。

就業前に丁寧に研修をしてくれたこと。

ライン作業に入ると、社員が手取り足取りサポートしてくれたこと。

怒鳴られることなんかなく、私がラインを止めてしまったときも「気にせんでええよ」とフォローしてくれたこと。

工場でのライン作業も肉体労働ではあったけど、気持ちよく働ける環境でした。

社員登用の道まであったのに、なぜ安定を捨てたのか。

転職失敗に気付くが辞められない

職場にはたまに人が補充されますが、ぜんぜん定着しませんでした。1日で飛ぶ人もいました。

「辞めればいいじゃん」

と思う人もいるかもしれません。

しかし、この職場環境だから、毎日出勤するだけでもまとも。ある程度、働き続けている人には辞めにくい空気もありました。だから「辞めたい」とも言えなくなっていました。

そのうち、土日のどちらかで休日出勤も頼まれるようになっていきました。

私は完全に辞め時を逃してしまったわけです。

妥協の転職はこうして終わった

休日出勤を頼まれて、他のターミナルに応援で入ったときのことです。

現場リーダーの強い呼び声に、反射的に走り出して、足元の荷物に足を引っかけて派手に転倒しました。

作業場の硬いコンクリートの床に膝から落ちてしまい、半月板を打ちつけてしまいました。みるみるうちに、パンパンに腫れあがって、歩くことも困難に。

退勤して病院に行くと、半月板に亀裂が入っていて全治一ヶ月と診断されてしまいました。

 

ケガで休んで数日。

仕事のことを考えていたときに、「辞めようかな」と思いました。

今が、辞めるチャンスかもしれない。

私は会社に電話して、「ケガがいつ治るかわからないから辞める」と話し、そのまま辞めました。

転職失敗の経験で転職が怖くなる

ケガを口実に辞めることができましたが、しばらくは無力になりました。

生活を立て直すことを優先するあまり、仕事内容や自分に合うかを考えず、「夜勤なら稼げそう」という判断だけで仕事を決めてしまったこと。

これが失敗のもとでした。

そして、情けないことに、転職が怖くなってしまいました。

自身の経験からわかった|転職失敗あるある

  • 今の仕事を辞めることを優先して、次の仕事を急いで決める
  • 「稼げそう」「休みが多そう」など条件だけで仕事を選ぶ
  • 仕事内容をよく知らないまま「自分にもできそう」で決める
  • 求人票の条件だけで、職場の実態まで判断してしまう
  • 辞めたいと思っていても、辞めるタイミングを逃してしまう