27歳の転職は、「自分にはスキルが無い」ことを突き付けられた転職でした。
地元の北海道から上京して転職先を探したけど、住む場所も働く場所も見つけられずに、あえなく愛知の寮付きの自動車工場に転職。お金が貯まったので辞めて東京に戻ったものの仕事が決まらず、生活のために宅配便ターミナルの夜勤の仕事に就いたのでした。
27歳で転職した理由
27歳のとき、私は宅配便ターミナルで夜勤をしていました。
その仕事は、配達地域のターミナルに着荷した荷物を、さらに最終的な配達地に配送するための仕分け作業です。
20時に出勤し、翌朝6時まで。勤務時間が長く、夜勤ということもあって給与は比較的高めでした。土日の出勤を頼まれることもありました。
まぎれもなく肉体労働で、前職の自動車製造のライン作業よりもハードでした。
ターミナルには次から次へと荷物が届き、それがコンベアに載せられて作業場を周回しています。その荷物を配達地別に振り分けるのが前半の作業。後半は、振り分け済みの荷物を配送トラックに積み込む作業。というのが夜勤番の仕事内容でした。
作業場では、結構きつい言葉が飛び交っていて、
「おい!なんかい同じ荷物まわしてんだよ!1回で取れよ!」
みたいな怒声が飛んできます。
完全にブラックです。
毎日、必ずウォーターサーバー用の水ボトルが数十個も着荷して、これが重くて運ぶのが嫌になります。
夜が明けるころにはヘトヘトになっている。そんな毎日でした。
本音は「辞めたかった」
宅配便ターミナルの夜勤を始めて半年が経ったころ、現場のリーダーの強い呼び声に反射的に走り出した瞬間、足元の荷物に足を引っかけて派手に転倒しました。
作業場の堅いコンクリートの床に膝から落ちてしまい、左足の半月板を強打。みるみるうちにパンパンに腫れあがり、退勤後に病院に行くと、半月板に亀裂が入っていて全治1ヶ月と診断されてしまいました。
帰宅してやや落ち着くと、仕事ができなくなってしまったことへの危機感が湧いてきました。
「ケガをすると収入が途絶える」
これが肉体労働が負っている宿命です。
困った状況になりました。
ケガを口実にして退職した
ケガのせいで仕事を休んで数日。
早く治して仕事に復帰しなければ…という焦りがある一方で、「この仕事に戻りたいのか」という疑問が生まれました。
ケガが治ったらまた、あのハードな仕事か。怒号を浴びながら、重い荷物でヘトヘトになる毎日。人間関係も良くない。昼夜が逆転した生活スタイルにも疲れを感じていました。
辞めようかな
辞めるという選択肢があることに気付いて、それが頭から離れなくなりました。
思えば、職場にはたまに人員が補充されるけど定着率が悪く、1日で来なくなる人もいました。
私のように、毎日ちゃんと出勤して来るというだけでも職場にとっては有り難く、はっきり言えば辞めさせてもらえない空気ができていました。
そう考えるとこのケガは、辞めるチャンスにも思えてきました。
気持ちが固まって、会社に電話しました。「いつ治るかわからないので、辞めます。」と伝えて辞めました。
求人を見て気づいた「自分にはスキルがない」
仕事を辞めて、私はしばらく無力になっていました。ひどい仕事環境から抜け出した安心感もありましたが、転職に対する恐怖感もありました。
それでも、ケガが治ったら転職活動に入れるように、ぼちぼち求人を見はじめました。
またも、未経験の仕事ばかりに目が向きます。
転職における未経験には、
・業界未経験(職種経験あり)
・職種未経験(業界経験あり)
・まったくの未経験
の3パターンがあります。
これを私に当てはめると、
業界はともかく、営業職で仕事をさがす。営業マンとして生きる気があるならこれ。
職種や仕事内容はともかく、保険業界か製造業界に戻る。将来の安定を得たいならこれ。
職務経歴に無い、未経験の仕事。憧れているクリエイティブ職、技術職ならこれ。
私が惹かれる求人のほとんどは「まったくの未経験」でした。
経験は無いけど、クリエイティブ職、技術職に就きたいという憧れだけは持っていたのです。
しかし、ケガで時間だけはたっぷりある中でじっくりと求人を見ていて、気が付きました。
自分にはスキルが無い
と。
やりたい仕事の求人を見るたびに、応募条件で弾かれる
求人を見ていると、たとえばウェブデザイナーの応募条件では
・Photoshop、Illustrator、およびHTML/CSSの実務経験3年以上
・実績を証明するポートフォリオの提出
たとえばカメラマンの応募条件では
・2年以上の撮影の実務経験
・Photoshop、Lightroomを使った編集経験
が求められています。
27歳になった自分が、未経験の状態でこういったクリエイティブ職に就ける可能性は限りなくゼロ。
現実を突き付けられて、「やりたい仕事」への道はほぼ閉ざされていたことを今さらながら知りました。
自分が憧れていたクリエイティブな仕事は、もっと20代の前半でその道に足を踏み入れていないとダメだったわけです。
自分を見つめ直して仕事を探すことにした
厳しい現実を知って、求人を見る手は止まりました。
自分は何を目指せばいいんだろう?
自分には何の道が残されているんだろう?
今まで、何をやってきたんだろう?
自分の未来が真っ暗なトンネルの奥に向かっているような、なんとも言えない大きな不安感に襲われて、急に怖くなってきました。
「東京でやりたい事を見つけて、それを仕事にする」という希望が消えた瞬間でした。
絶望です。

「やりたいこと」ではなく「今の自分にできること」で選んだ
私は、東京に居る意味さえ分からなくなって、しばらく求人を見ることができませんでした。
いったいどうやって仕事を探せばいいのか。
自分には何ができるのかを冷静に、丁寧に見つめ直さなければ、仕事は探せない。一度、自己分析をしなければならないと考えました。
建設業界という、それまで考えたこともなかった選択肢
自己分析の方法を調べてみると、「やりたいこと」ではなく、「やりたくないこと」を書き出してみる方法があり、これをやってみました。
・営業。人に強く推し勧めるのが苦手。ノルマに追われるのは嫌。
・夜勤。製造業、運輸業で経験済み。
養生屋の決め手は「肉体的な負担が軽そう」「日勤に戻れる」
「建設現場での養生」とは、主に建物内部の施工済みの部分に傷が付かないように、プラダン(プラスチック段ボール)で覆う作業です。
ビルを作っていくところを見れるのか、面白そうだな。
と思って、興味が湧いてきました。
あと、
・建設現場でありながら、肉体的な負担が軽そう
・基本的に日勤で、土日休み
・給与は悪くない
といったところが決め手になりました。
ケガが完治して、養生の会社と面接をすると、すぐに採用が決まりました。
スキルがないなら、何か一つ資格を取ろうと思った
「自分にはスキルが無い」ということが、自分の未来を暗くしている、不安にしていることが分かりました。
そこで、何か資格を取ろうと思いました。履歴書に書ける資格があれば、自信につながるかもしれない。
資格は何でも良くて、まず一つ、取得しやすい資格でいいから一つ取ってみようと思いました。
保険営業をしていたころに、顧客の損益計算書から保険料を算出していたこともあって、経理にも興味がありました。そこで、「日商簿記3級」を取ることにしました。
独学するよりも予備校に通った方が確実だろうと思い、土日に予備校に通い始めました。
27歳で転職して分かったこと
27歳のときの転職は、成功体験と言えるものではありませんでした。
夜勤でケガをして、スキルがないことに絶望し、消去法で選んだ養生屋への転職です。
それでも、泥臭い転職経験を通じて、痛感したことがいくつかあります。
「やりたいこと」より「今できること」
20代の頃は、「やりたい事を仕事にしたい」と理想ばかりを追いかけていました。
しかし、27歳になって分かったのは、実績もスキルもない人間がいきなり「やりたい仕事」に就けるわけがないという現実です。
まずは「自分には何ができて、何ができないのか」を現実として受け入れること。
背伸びして理想の仕事を探すよりも、「今の自分を必要としてくれる場所」や「これなら耐えられる条件」から選び直す方が、よっぽど現実的で、結果的に人生を立て直す近道でした。
キャリアの失敗は、何度でも軌道修正できる
北海道を出て、住む場所が決まらず愛知の自動車工場に転職。お金を貯めて東京に戻るものの仕事が決まらず運輸業の夜勤へ。そこでケガをして辞めて、養生屋に転職しました。
「27歳にもなって、こんな落ち着かない生き方で大丈夫なのか」と、何度も思いました。
それでも、遠回りをしたり、ケガをして立ち止まったりした時間は、無駄ではなかったです。北海道を出たこと、愛知に行ったこと、運輸業できつい思いをしたこと。
そのひとつひとつが、「自分には何が向いていないのか」を経験させてくれました。
「スキルがない」という焦りが、行動力になった
「自分にはスキルがない」という気づきがなければ、簿記の勉強を始めたり、キャリアを真剣に考えたりすることはなかったと思います。
不安や焦りは、「このままじゃまずい」という強いエネルギーに変わりました。この焦りこそが、次のステップを踏み出すための行動力になります。
現実を受け入れて、一歩を踏み出すこと。
27歳の自分が選んだ泥臭い決断は、間違いなく今の私に繋がっています。
※日商簿記3級は、翌年2月の試験で取得できました。
次回は、

